復帰して思った事

とりあえずふらふらと復帰したものの、
しばらくバタバタとリアルの様々な事情ありーので…
まともにプレイできていなかった訳で、
とりあえず自分なりに野良もありーので色々やってみてました。
んで、ちょっと首捻りすぎて落ちそうな事も多々。

ちょいとメモを。
漏れその他の危険予測が微妙。
生命を激しく自分で削り続けて一撃乙 そりゃ盾が悪い訳じゃない。
もうちょっとでいけそうな場面で攻撃漏れた陰陽師が速攻結界。
陰陽道の五行は修羅にのりません。
あくまで付与とは別の自己強化なので…

ま、リアルに差し支えない範囲でやってるので本当にまったりですがね…
続く…の?

休止したまんまだけど

何やら特化縛りがえぐくなった、と言う記事が多くあがっておりますが…。
休止前で陰陽道にひたすら拘ってやっていた者として。
私自身は基本○○さんのクエやるお、
って言う時に陰陽道、○○←特化ね 
で残りの構成で大体のアタリをつけて知人を当たるようにしていますた。
例えば陰陽道、軍学、鎧、神通、古神、召喚、暗殺とかそれは知人の揃い具合で。
モチロンノリで決まる事もあるけれど、
むしろ勝算五分以上は見込めるようにはしてました。
装備云々、というよりもセンシング能力とかあとは連携、
柔軟な思考が大事だと思ってました。
ノリで無言拉致とかもやってたので知人からすると良い迷惑だったのかも知れませんが…。
自分で勧誘していた時に気を付けていたのは場の空気、かな?
あと頭はいつも多重思考していたような気がします。色々な意味で。
作業にならないよう、また徒党を飽きさせないように気を付けてますた。
ただ構成で考えてたのは何特化ありき、ではなく
何と何の組み合わせは相性が良い、とか
召喚は回復枠なのかアタッカ枠なのか、等、
そういう事考えたらむしろ要らない特化なんて無いな、と。
ただあくまでベクトルはそれぞれ違う。
やりたい事に向く特化があれば向かない特化もある。
むしろやりたい事に不向きな事をやりたくて、
尚かつ党首する気も無くひたすら青待ちしているくらいなら、
向く特化に変えた方が良いんじゃないかな、と思います。
ただ特化変えにしても何にしても自分の修得や経験断片など、
手伝って貰った事とか考えたら私はどうかな、と思ってしまうだけでね。
ただネトゲはあくまで”人ありき”な訳で。
義理人情に欠いてまでやりたい事に進んだ先に何が見えるのか?ってだけです。ハイ。


色々あるさね。色々…

ブログで何かを語る、という事について、
それはチラウラかもしれないし、
また気に入らなきゃ読まなければいい、というスタンスもある。
昔、とある動画職人に言われた事がある。
「自分の一度あげた記事は消したつもりでも絶対に消える事はない」
過去に自分も炎上するような事があった。
結局消している記事もある。
前述した言葉がまさに
「自分の吐いた言葉は決して消える事がない」という事とかぶる。

信長の野望という実に狭い範囲の中で、
実に奇妙なきっかけから信を辞めた現在でも尊敬して止まない人がいる。
ブログ、スタンス共に尊敬でき、そして最も影響を受けた気がする。

どういういきさつがあったのか知らないし、
またどういう経過で収拾したのかもわからない。
今ではお互いに語り合う事もなく、胸中もしる術がない。
結局の所、騒動の責任を取りブログは閉鎖すると言う。
閉鎖=責任とは私は思わない所もあるし、
本人も責任、という感覚ではないだろう。
エンターテイメントとしてのブログ、
という方向性が結局周囲に与える影響力の大きさで
その範囲が制限されつつあるのは本当に悲しい事だと思う。
とある天才作家が、その表現を大きく制限される事があり、
あげく断筆するといういきさつがあった。
結局は読み手の感性に委ねるしかない部分も大きいのに、
その単語一つが人を傷つける、という理屈だそうだ。

私自身はできる事なら多くの人を愉しませる、という意味も含めて、
そのままのスタンスで継続してくれる事を切に望む。
実際の所、
私のブログを含め読み手に不快感を与える事しかないものも多い。
そんな中期待を持って読め、なおかつ笑い、
時として学べるものは本当に貴重だと思う。
良い物ほど消えやすく、また本物は認められ難いと思う。










リアル、ネット、それぞれで若い子と付き合う事が増えてきた。
それは私が歳を重ねてしまっているせいもあるが…
最近の傾向として、明らかに変な事が増えすぎて困る。
常識が無い、大変無自覚に失礼、等々言い出すとキリが無い事ではある。
ただし、その原因というのは結局自己を省みる、という事が無いからでは、と思う。
いつもダラダラと何かしている、
裏を返せば深く考えるきっかけもなければ、深く考える能力も無い。
良くあるケースを揚げれば、私は言うこと聞いてます!と良く言う人に限り、
同じ事を繰り返す、という事だ。
つまりは失敗や欠点を揚げられてもそれを受け入れられない。
成長できない人間の共通点というものも実にシンプルだ。
「人の話を聞くことを「聞き流す」事と勘違いしている。」
「いつも言い訳を用意している」
「自分と向き合って、なおかつ目標が立てられない」
「自分はいつも頑張っている、と思いこんでいる」
こんな所だろうか。
言い訳も能書きも要らない訳で、要は成長する姿をこっちは見たい訳だ。
誰かが言った事ではあるが…
あと多いのが「何もわかってくれない癖に」等の開き直り。
コレが一番いけない。
結局、現在の自分なりを客観的に見た評価について述べているのであり、
その評価が世間一般では概ね全てではないだろうか。
世の中ではその人間の裏設定など読んではくれない。
他人の評価というものを冷静に受け止め、
賞賛を半分に、批判や忠告は真摯に受け止める。
できるようでこの事ができる人間は非常に少ない。
目標の設定が細かくできる人間は進歩も早い。
なぜなら進歩のできない人間とは具体的な目標を段階毎に立てる事ができないからだ。
大きな事を為し遂げようとする。
その為には何が必要であるかを熟知する。
さらにその必要な事を満たす為にどうするかを考察して目標を定める。

人に何かを伝えるのは言葉ではなく信用だと言ったがコレはどうだろう。
信用というのは特定人間に対せばそれでいいのかもしれない。
悪評があるなら信用なんてできない。
これは当たり前の事ではあるが…
ただ多くの場合は信用というのはあって無いようなものだと思う。
信用と理解は違うだろう、と。
不特定多数に向けてメッセージを発する場合なんて信用は基準にならない。
あくまで言葉に重みがあるかどうか、
読み手の精神を揺さぶるものがあるかどうかだ。

結局の所こちらはお節介焼きなので、
明らかにウザイと思われても仕方ない事も言う。
だがしかし、言って無駄なものはどうするか。
放置するに決まっている。
先々、相当痛い思いをしつつ、
その結果立ち直れなくなったとしても、
そういう状況でないと解らない人であれば仕方ない。
そういう時に泣きついて来ても…私は甘いからなんとかするんだろうが
あと先日の会話であった事ではあるけど、
いくら親友の関係でもお金のやりとりなんてしないに限る。
こんな事は社会人なら誰でも知っている事だぞw
もし貸す時はあげるくらいの覚悟でないとダメ。
友達の数が問題ではない。
要は自分にとって相当厳しい事でも言ってくれる間柄の友達がどれくらいいるか、だ。
例えば間違った事を身体張ってでも止めてくれるようなね。


本音言うと厳しい事なんて言いたくはないし、
覚悟も要る。
押しつけにならないよう、理解できれば次へ。
そういう気配りが出来ないならできるようになるべきだと思う。
あと当たり前の事だが、
チャットやネトゲはモニタの向こうに生身の人間が居てる事を忘れてないかな、とも思う。
一言一言が足りない事がとてつもなく失礼になる事を忘れないように。
ありがとう、ごめんなさい、なんて5歳児でもきちんとしてるぞ…
そういう細かい事の積み重ねが君の好きな信用を落とす事になると思った方がいい。