正ちゃんがこんなに美味だとは知らなかったのです!
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2-7
2008-04-15 Tue 08:03
 翌日、磬鸞は鍬を時折右手に持って自分の右手が生身であるようイメージを抱きながら耕せるように努力するようになった。はじめは僅かに反応するだけであったが次第に弱い力で動くようになってきた。それでも日常生活には足りるものではなかったが、重りをぶら下げているだけの事を思えば幾分ましとも言えた。だが、余程集中しない事にはその僅かな力も出せず、いつも動かせるとは限らなかった。
「良かったですね…。」
朱梛は静かにそれでいてまるで自分の事のように喜んでいた。その夜、朱梛は何か祝いのものを採りに行くと言い残し出かけていた。しかし幾ばくかの時が過ぎても朱梛は戻らなかった。辺りは暗闇に覆われ、星明かりが僅かに辺りを照らすだけだった。それでも磬鸞はただ走っていた。当ても無く走るという事は磬鸞にあの夜を無意識に思い起こさせた。一瞬身震いをするがそれでも意識を集中し、朱梛の存在を手繰ろうとする。気付けば桃花源の外れ近くの沼の辺りまで走っていた。星明かりも差さず、周囲は真っ暗だった。その瞬間、ほんの刹那の刻だけ朱梛の存在を感じる事ができた。その先には、四つの光るものがあった。その光るものは磬鸞が近づく事で狼と虎の頭だと解った。胴体は一つに二つの頭を持つその獣は沼のほとりで何かを探しているようだった。
「磬鸞さん、こっちへ来ては駄目です!この窮奇は私達に叶う相手ではありません!」
沼のほとりの傾斜の大木の側で朱梛は踞って叫んだ。窮奇と呼ばれるその化生は磬鸞の気配に気付き磬鸞に向かって毒気の息を吐き出した。鼻腔と喉に僅かな痺れを感じ磬鸞は息を止め朱梛向かって疾駆し朱梛を抱きかかえた。
「来ては駄目だと言ったのに…、磬鸞さん、これを。」
そう言って朱梛は袋に入った紫水晶と黒水晶を取り出し手渡す。
「黒水晶は僅かではありますが毒気を緩和します。これで少しは呼吸がましにはなるはずです。紫水晶は窮奇が嫌うものの一つなのですが…。」
確かに幾分か痺れるような香りが薄らいだような気がした。そして窮奇は数歩の距離から朱梛の方へ近づけずにいるらしく、じっと朱梛を逃がさぬように睨みながら低く唸り、激しい殺気を向けていた。
「これは、身動きできないな。」
そう磬鸞が呟く。朱梛の足首には酷い鬱血と少しの流血が見てとれた。これが今まで喰われる事もなく、帰還もままならなかった理由だと把握できた。
「仮に走って逃げたとして、庵まで追いかけてくる事はないのか?」
朱梛の足首に布切れを巻き付けながら尋ねた。
「それはないと思います…、窮奇をはじめとした陰気の化生は陽気の多い所は嫌うはずですから、この桃花源の外れから出ることが出来ればそれ以上は追いかけては来ないと思います。ただ…、今は夜の刻ですからなんとも…。」
朱梛は紅い頬をさらに紅く耳まで染め上げて言った。
「よし、しっかり俺におぶさってくれ。右手はそんなに支える事がまだ出来ないからな。」
額からの汗が少し頬を伝いながら磬鸞は今来た道をしっかり見据えながら呟く。毒気が少し身体を侵してきたのだろうか、頭の片隅に霞がかかったような感覚に襲われる。
「いくぞ!」
朱梛は磬鸞の首にしっかりと腕を絡め、目を閉じた。磬鸞は鍛えられた両足を一回り太く誇張させ激しく走りだした。そして速度が乗ると今度はしなやかに足を使い猛烈な速さで駆けていった。窮奇は久方振りにありつけたと思った獲物が自分の苦手とするモノを持っているために近づけず、そしてその獲物がまた逃げようとする事に激しい怒りを感じていた。窮奇は大柄な体躯からは信じられないような速さで追いかけてくる。
「磬鸞さん、来てます!」
「わかっている! この辺りに深い水場か岩山は無いのか?」
荒れた木々を素早くかわしながら磬鸞は聞いた。
「右手に進むと湖があるはずです!」
磬鸞は返事代わりに右手に進路を傾けひたすらに走り続ける。数分ほど進んだ所で湖が見えた。咄嗟に磬鸞は湖手前で飛躍し激しく地面に転がる。その後を追いかける窮奇は見失った獲物に目先を無くし、まっすぐ湖に飛び込んで行った。雨のような大きな飛沫をあげながら窮奇が沈む。
「今の間に逃げよう。」
朱梛は少し涙目で頷くと磬鸞にまたおぶさる。磬鸞は疲れを見せる事なくまた必死で駆けだした。

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